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この鑰(かぎ)は延暦七年(七八八)、開祖伝教大師(最澄)が比叡山に根本中堂を建立する時に、その場所を整地中、地下より見つけたと言い伝えられています。
伝教大師は、その後もこれを肌身はなさず大切に所持し、延暦二十三年(八〇四)入唐求法のさい、中国の天台山において大師を案内していた行満座主が一棟の宝蔵の前に立って、「その昔、天台大師が、我が法は滅後二百年の後には東方に興るであろう。それまで、この宝蔵は閉ざすと申されて錠をかけ、その鑰を東の空へ向けて高く投げられたので、いぜん開かずの宝蔵と申しています」と話されました。
伝教大師が所持の鑰を取り出して、蔵の錠と合わせると、たちまちはずれて扉は開きました。山中の僧徒は天台大師の申された通りと驚き、宝蔵内の珍籍(ちんせき)のことごとくを伝教大師に贈られました。
その時の鑰は形状から「八舌鑰」(はちぜつのかぎ)と呼ばれ、今も延暦寺の重宝となっております。 |
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